やたらと逞しい肩がひっくひっくと上下する。 ぐすっずびっと鼻水をすすり上げる音が汚い。 周囲からのヘンなものを見るような視線が痛い。 眉間に力を入れてじっと耐えている俺の目の前で、 サイファーはテーブルに備え付けのナフキンを手にとってぶぴーっとマヌケな音を立てて鼻をかんだ。 ああ、俺は何でこんな男と付き合っているんだろうか。 泣き虫 今日は久々の完全オフで、たまには映画でも観に行こうぜ!とやたらと映画好きなこの男に誘われて街に来た。 サイファーがどうしても見たかったというその映画は、俺たちが生まれる数年前に公開されたらしい今回限定で復刻版で上映されているという戦争ものだった。 数ある障害を乗り越えていくストーリーは単純だったがキャラクターがリアルに描かれていて、意外と俺にも楽しめた。 だが、ラストがいけなかった。 ラストシーン。故郷に帰った部隊が、安心したところを殲滅されるという後味の悪いラストだったのだ。 そのおかげでサイファーは映画を見終わってからずっと泣いている。 「せっ、せっかく帰ってきたのに…」 「あー、そうだな」 ひっくひっくとしゃくり上げているサイファーにハンカチを渡してやりながら、げんなりする。 この男が泣き出してからもう1時間はゆうに経っている。 なのに泣きやまない。 ぽろぽろ涙をこぼす男の腕を引いて何とか映画館を脱出し、近くの喫茶店に入った所でサイファーの涙は一旦落ち着いた。 のだが、目を真っ赤にしてコーヒーを飲みながら何を思ったか映画のパンフレットを読み出し、 そしたらまたダーダー泣き始めた。 最悪なことにあの映画はノンフィクションだったらしい。 その事実がまたサイファーの号泣神経を刺激したようだ。 「あんなことが、現実にあっていいのかよっ」 「あー。そうだなぁ」 俺あいつら大好きだったのにっ!とハンカチで顔を覆ってぷるぷるするサイファーの姿は、 はっきり言って気味が悪い。 これが年少クラスの男子だったり、女子だったりしたならかわいいなあとか思えるんだろうが、 身長2メートル近い、しかもやたらと逞しい大人の男がめそめそしている姿なんて、むさ苦しく恐ろしい以外の何者でもない。 しかももっと恐ろしいのは、こんな状況が初めてではないということだ。 一体何があったのかは知らないが、サイファーは急に涙もろくなった。 涙もろく、なんてのは可愛い表現だ。 映画を見て泣く。テレビを見て泣く。本を読んで泣く。 任務から帰ってきて泣く。任務から帰った俺を迎えて泣く。 喧嘩をしてももちろん泣くし、仲直りしらたしたで泣く。 とにかく泣く。箸が転げても泣くんじゃなかろうかと思うほど泣く。 泣き方も色々バリエーションがある。 今回のようにわんわん泣く時もあれば、静かに涙だけをこぼすこともあるし、 じんわり涙を溜めるだけの時もある。 コトを済ませた後に顔をじっと見ながらうるうるされた時はさすがに少し引いた。 以前まで全く泣くなんてこととは縁のなかった男だ。 子供の時も、成長した後も、怪我をしても死にかけても命を懸けて戦っても泣かなかった。 なのにこの急変。 最初はびっくりして宥めてすかして理由を聞いたが当の本人は「わからん」としか言わないし、 病院にまで連れて行ったが別におかしい所はなく、 不気味に思ったり驚いたりしながら結局は慣れてしまった。 …さすがに外でビービー泣くのは勘弁してほしいが。 「いい加減泣きやめ、この泣き虫毛虫。頭痛くなるぞ」 「うっせ…お前だってガキの頃はビービー泣いてたじゃねえか」 べしゃべしゃになったハンカチを奪い返しながらこづくと、サイファーはまだ涙目のままこっちを睨んで来る。 そんな顔で睨まれても全く怖くもなんともないというのに。 確かに俺は子供の頃、よく泣いた。 転んでは泣いて、ぶたれたと言っては泣いて、空腹だと泣いて、眠いと泣いて、 置いていかれては泣いて、迷子になっては泣いて、泣いたと泣いた。 子供だったというのを抜いても、泣きすぎるほど泣いたと思う。 あまり人には言えないが、成人するまでは結構涙もろい方だった。 それが、サイファーが泣き虫になるのに反して、俺はぱったりと泣かなくなった。 今となっては、どうやってどんな気持ちで涙を流していたのかわからない。 「俺は子供の頃死ぬほど泣いたから、もう涙も枯れたんだろ」 「じゃあ俺はガキの頃全然泣かなかった分を今使ってんのか」 「かもな」 人生で流す涙の量が決まっているとは思わない。 自分のこれは感覚的に、もう泣くのに飽きたという感じだ。 ただこうやって泣いているサイファーを目の前にしていると、自分の感性が鈍っているように感じるし、泣けなくなるのは寂しいことのようにも思えるから不思議だ。 あまりにサイファーの泣きっぷりがいいせいかも知れない。 ハンカチをしまって、今度はすっかり乾きかけたおしぼりを泣き虫な男に差し出す。 受け取ったそれで顔をごしごし擦るサイファーは、もう大分落ち着いたようだ。 ひとしきり顔を拭うと、ふーっと大きく溜息を吐く。 泣いている姿は気味が悪いの一言に尽きるが、こうして泣きやんだ後のどことなく無防備な顔は可愛い気がする。 「俺は…多分もうあんたが死んだ時しか泣かないだろうな」 「俺はお前が死んでも泣かないぜ?」 ウェイトレスを呼び止めて新しいおしぼりを所望する横顔を眺めながらぼそりと呟くと、 よく冷やされたおしぼりを受け取り、そのうちの一本をこっちに差し出しながらサイファーはきょとんとする。 予想外の返答に受け取ったおしぼりを取り落としそうになり、慌てて掬い上げた。 「え?」 「まあ、お前に振られたら泣くだろうがな」 「どういう意味だ?」 「だって、振られない限りお前は死んでも俺のモンじゃねえか。お前が俺のモンじゃないなんて耐えらんねえ、想像するだけで涙出るぜ」 作りの頑丈な椅子にふんぞり返ってコーヒーを啜りながら、そんな恥ずかしい台詞を臆面もなく言う。 勝手に殺すな。俺はモノじゃない。俺が振ること前提なのか? 文句が次々に浮かんできたが咄嗟には言葉にならない。 恥ずかしすぎる。耳が熱くなるのが解った。とりあえずおしぼりを当てる。 赤面する俺を尻目に、サイファーは笑った。 「まあ、お前が俺と別れたいって言ってきたらサクッと殺してやるから安心しとけ。な?」 ああ、まったくタチが悪い。 俺は何でこんな男と付き合っているんだろうか。 2008.07.16 泣くサイファーが書いてみたくて…と泣かせすぎましたが! それにしてもこのサイファーは得体が知れなくて気味が悪いですね(笑) |