ドアの前で







寮の共有スペースには、3つのドアがある。
1つは、寮内へ続く玄関のドア。
あと2つは、その部屋に住む人間のそれぞれの個人スペースへのドアだ。

サイファーの日課は、その2つあるドアの右側の住人、
つまりこの狭い寮の相部屋の男に毎日声を掛けることだ。

サイファーと仲が良いとは言えないからか、もっと他に理由があるのか。
ただ単に他人と関わるのが面倒なだけかもしれないが、
その部屋の住人は滅多に共有スペースに出てこない。
その代わり、声を掛けるとドアを半分だけ開けて顔を出す。
そして声を掛けたサイファーを何の用だと睨み付けてくる。
細い隙間からひょっこり顔だけ出した状態で睨んでも迫力なんてあったもんじゃない。
むしろその間抜けな姿が面白い。

サイファーはいつもドアの横の壁に背を預けて座り込んで、
隣の住人は立ったままドアから半分顔を出す。
いつもその妙な立ち位置のまま、毎日毎日何だかどうでもいい話をした。

喋っているのはサイファーの方で、向こうは聞いてるだけか相槌を打つだけ。
めんどくさくなるのか大抵隣人は10分ほどで部屋に引っ込んだし、
たまに話の内容に勝手に腹を立てたのかドアを閉められることもあったが、
その場で喋り続けているとドアの向こうからでも相槌は返ってきた。
だから、とりあえず喋る。
夢の話とか、今日食べたものの話とか、バトルの話、授業の話、
昔付き合っていた女子の話とか、たまにちょっと真面目ぶって愛だの何だのの話とか。
何でもいいから1時間喋って寝る。
それがサイファーの日課だった。


ある日、授業を終えて廊下をブラついていると、教師に呼び止められた。
隣の住人が、授業中の事故で死んだから、掃除に部屋に入るとのことだった。
そうですか、とだけ返した。

ぼうっとしたまま夕飯を済ませて部屋に戻る。
玄関ドアを開けて中に入る。部屋は真っ暗だった。
電気も点けずに上着を自分の部屋に放り込んでいつもの定位置に座り込んで、


「おいスコール」


声を掛けた。


「何だ」


小さく音を立ててドアが開いた。

その、少し開いたドアの隙間から聞き慣れた声がして、
思わず顔を上げる。
いつもの高さに、いつもの表情で顔を出しているのは、
死んだはずの男だった。

あまりの驚きに声も出ない。
ただただ呆然と目の前の男を見ていると、男はちょっと嫌そうに顔を顰める。


「用がないなら声掛けるな」


そのままドアの向こうの暗い部屋に帰ろうとするから、慌てて声を掛けた。


「お前、生きてたのか」


何を話そうかなどと考える暇はなかったので、ぽんとそんな言葉が飛び出す。
その台詞を聞いて、ドアを閉めようとしていた男は再びドアの隙間から顔を出して、
サイファーを見下ろして薄く笑った。

今まで見たこともないような妙な笑い方。
だから、ああ、ハメられたんだと気がついた。
きっとあの教師もグルで、自分を騙くらかして陰でニヤニヤ笑っていたに違いない。

そう思ったら安心した。
普段なら、よくもと憤って、掴み掛かってもおかしくないのに。
怒るよりもまず安心した。
ただこの男が目の前にいる。
それだけでいいと思ったのだ。


「ふざけんな、アホ」


とりあえず罵ってみると、男は今度は声を出して笑った。
よほど機嫌がいいらしい。
いつもの場所から顔だけ出す妙な格好のまま、電気もつけずに暗い部屋の中で
男の顔だけが白く浮かんでまるで生首のようだと気味の悪いことを考える。


「今日は何も報告はなしか?」


そう言いながら、驚いたことに男はこうして話している間は一度も出て来ることのなかった
隣室のドアから全身を現した。
いつも着ている長袖ではない薄手の半袖が妙に寒々しく見える。
そのままサイファーの隣に、同じように座り込んだ。
半袖で寒い部屋にいたからか、軽く触れた肩が冷えている。


「今日は…お前が死んだとか馬鹿なこと聞かされて、そっからのことは全然覚えてねーよ」

「そりゃ悪かったな」


何で今日は隣に座るんだろうか。
手の込んだいたずらを悪いと思っているのかもしれない。
そんなことを思いながら愚痴ると、それを聞いて男はまた笑って見せた。
いつもとはまるで違う柔らかい雰囲気。
今なら言ってもいいかもしれないと、そんなことを思った。


「おい、スコール」

「ん」

「好きだ」


告白すると、男はぎょっとした顔でサイファーを見て、
それから顔をくしゃりと歪めて笑った。
ああ、泣きそうな顔だ、と思った。
でも、嫌そうには見えない。

だから、肩に手を回して抱き寄せた。
抱き寄せた男は思った以上に冷たくて、
寒い室内なのに半袖なんかでいるからだと少し腹立たしく思う。

自分の体温で暖めてやろうとひやりとした体を両腕でかき抱く。
冷たい床の上で冷たくて何となくいつもの存在感を感じさせない体をじっと抱きしめて、
抱き寄せられた男も何も言わずサイファーの首筋に頬を当てたまま身動き一つしない。

告白を拒否された訳でもなく、抱き寄せても嫌がられず、
本当ならもっと浮き立った気分になってもいいはずが何故かそんな気分になれない。


妙に静かだった。


そっと髪を指で梳いてみる。
するすると指の間をすり抜ける髪も、どこまでも冷たい。
髪だけでなく、腕を回した肩も、密着している頬も、指先で辿ってみる頭皮も、
何もかも冷たい。
体温がない。



ああ、嘘じゃないんだ。
やっぱりこいつはもう、いないのか。



抱く腕に力を込めると、抱き込んだ男は喉の奥で笑う。


「あんた、馬鹿だなあ」

「おう」


泣きそうな声だった。
抱く腕に更に力を込めて、冷たい男の肩に顔を埋める。


「泣くなよ、サイファー」

「俺のことは、忘れろ」

「馬鹿野郎」

「こんな風に出てきやがって。忘れられるはずなんてねえだろ」

「好きなんだよ。畜生。何でだ。何でだよ…」


呻いてもっときつく抱きしめる。


「サイファー、サイファー…」


宥めるように名前を呼びながら冷たい腕が背中に回され、冷たい指が頭を撫でる。


「スコール、好きだ。好きだ…」


寒い部屋で冷えた床の上に座り込んで、
冷たい腕に抱かれて、

好きだ、好きだ、好きだ、好きだ

狂ったように繰り返しているうちに眠ってしまった。

俺もあんたが好きだ、とスコールの泣き声を聞いた気がしたが、
言葉を返すことはできなかった。










明るさで目を覚ましたら、朝だった。

早朝のようで、まだ寮内はしんと静まりかえっていた。
空気は冷たかったが、底冷えするような夜の空気とは違い、ほのかに暖かい。
開け放たれたスコールの部屋のドアから、朝日が薄暗い共同スペースに差し込んでいた。


固まった間接を無理に動かして、ドアの前まではいずって進む。




部屋の窓にはカーテンがなかった。

朝日に照らされて、からっぽの部屋だけがあった。






眩しくて、涙が出た。




























2007.01.26

開店休業中のリハビリにちょろっと書いたもの。
の、別バージョン。

どっちのがマシなのか…
救いがないことに変わりはないのですが。





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